王滝2007

さいとーさんとそのお仲間たち

今回は俺としては珍しく人様と宿を同じゅうした。
ご一緒したのはヒルクライムレースで知り合ったさいとーさんとそのお仲間「KICHI-GUYS」の方々である。メンツは

    • さいとーさん。ノリクラ4分台の実力者であり、王滝でも去年120キロクラスで上位に入っている。
    • テツさん。さいとーさんの先輩格で偶然にも俺と同じT2という異名を持つ。マラソンランナー。
    • コスジさん。一番後輩格。去年の乗鞍で俺と接触してコケちゃった人。リベンジで挑んだ今年も序盤でパンクするという不運に見舞われたが、そこから自転車を押して走って2時間を切るタイムでゴールしたというツワモノである。
    • ほかにIWAさんとムラカミさん(あんまり絡まなかったんで省略。すんません)

さいとーさんも含めほとんど初対面と言っていい間柄である。

当日朝

春は2時ころから並べてたで〜という心配性の俺の情報に基づき、朝3時半起床し、4時ころには並べ前から5列目をゲットした。
スタート前から緊張で肺が痛む。気が小さいんだな基本的に。
天気はスタート時点で曇り。降ってくるんだろうな、って予報である。

スタート〜CP1(1回目)

スタートから8キロまで先導車つきで舗装路をいく。無謀な割り込みしてくるヤツがいて気が抜けない。
本スタート後しばらく同じ宿のさいとーさんの見える位置で走るがやがて見えなくる。実力差は歴然。さすが乗鞍4分台。
何時しか雨粒が落ちてきてマッドコンディションに。
スタートで前にいたはずのオガがエラいイスピードで抜いていったがCP1手前でパンクストップ。そのままDNFだったみたい。コスジさんや牛窪さんにも早々と抜かれる。登りではサスペンションをロックして走ってたんだけど、試しに解除してみたら意外にそっちの方が楽にスピードを維持できる。おおぉ新発見だ。
今回導入にしたディスクブレーキと「ほとんどリジット」と言われた以前のFサスから交換したマルゾッキ。実はレース当日が初めてのオフロード走行だった。(オンロードも前日駅から現地まで走っただけ)設定もロクにしてないFサスと初使用のディスクブレーキを恐る恐る試しながら走っていた。

CP1(1回目)〜CP1(2回目)

一回目CP1通過。その時点でクラス21位トップから9分遅れ。俺としては上出来だ。
ここから120キロクラスはループに入って100キロクラスと別れ一旦下る。その下りで同じクラスの人に離されずに下れた。Fサスとディスクブレーキの威力は絶大だ。
今日はいけるぜ、と思っていたが、下りきって舗装路に出てしばらくしたところでパンク。王滝での初パンクがなんで舗装路やねん。
ここで修理に手こずりダダ抜かれ。修理を終えて慌て走りはじめるが、さらにしばらく下ったところでパンク修理したところにサングラスを忘れてきたことに気が付きコースを逆走してとりに戻る。
無事サングラスを回収し、舗装路を全力で下ってると前方に真っ暗なトンネル。ここでスローダウンした人何人かに追いつき、再びオフロードの登りに入ったところで抜き返した。
長い登りをしんぼう強く登っていると100キロクラスの人が何人も下ってくる。どうしたん?と訊けば、蜂の大群に襲われリタイヤするらしい。そういえば途中でスタッフの無線からそんなことを言ってるのを聞いたな。(レース後同じ宿のムラカミさんも刺されていた)
さらに何人か追い抜き、本来のコースに復帰したところでクラス41位。ここから100キロクラスの遅れ集団を抜きながら進む。
120キロクラスが約1時間かけてループを回ってる間にやっとここまで来た人逹だから当然遅い。茫然と地図を見ながらへたりこむ人なんかもいて、前の方では見られない地獄絵図が展開されていた。メタボな人も多い。
CP1手前でシクロバイク発見。もう泣きたい、って言ってた。

CP1〜CP2

パンクでのロスを少しでも取り戻すべく必死に走る。が、120キロの選手にはほとんど会わない。長蛇の列を成す100キロクラスのグルペット集団を抜くのに難儀する。道幅はあってもベストラインは1本だけ。ベストじゃないガレたラインを自分の走りたいペースより速い速度で追い抜くのはじわじわと脚にダメージを与える。
でも嬉しかったのは、これまで過去3回、ダウンヒルでは只ひたすら抜かれる一方だったのに、今回は下りで結構追い抜くことができた。100キロクラスのケツの方だから遅い人が多いのは当然とは言え、こんな俺でもちょっとは進歩してるんだな〜って感じがして嬉しかった。
いつもは手首が限界にきていて、恐々と下るCP2への下りも今回は前に走る選手を途中で抜けるだけのスピードで下ることができた。

CP2〜CP3

CP2では大量の選手が屯(たむろ)っていた。4回目の王滝参加にして初めて見る光景やった。CP2を過ぎたところからズラ〜〜っと路駐している。シメシメ今の内に、と止まることなく通過。ボトルの水はまだ丸1本以上残っている。パワージェルも十分余るほど残ってて補給計画は順調だ。
このあたりで何人か120キロの選手をパスした。相変わらず100キロの脱落組を根気強く抜く作業を続けるが、ここで遠々腿が攣り始める。追い討ちをかけるようにチェーンの油切れ、さらにディレーラの調子が悪くなってローに落ちなくなったりした。無理なギヤを踏んだのでさらに足が攣る。しかしそれでも止まることなく走り続ける。パンク以外ではまだノンストップだ。いよいよ腕にも疲れが来てCP3への長い下りはいつもどおりにつらいが、体感的にはいつもより速く下れたんではないかと思う。

CP3〜ゴール

CP3でも未だかつて見たことがないほど大勢のライダーが屯っていたけど、ボトルの水はまだまだ残っているので止まらずいく。
これまでなら、登って・下って・登って・あとはズ〜と下り。と判っているので搾り出すように走るのだが、今回は1個目のピークから先が臨時のコースとなっていて先が読めない。そんな中背中のポケットから音楽を鳴らしながら根気よく走る。やはり100キロの選手を次々に抜いていく。パンクして以降ほとんど抜かれることなくここまで走ってきた。ピークを極め臨時コースに入っていく。
しかし、ここで事件発生。
唐突にほとんどなんの前触れもなく落車した。あいまいな記憶をたよりに状況を書くと、やや下っているもののこれまで経験してきた中では決して急勾配ではなく緩やか。左にややカーブしているものの見通しもよい。路面はガレてはなくマッドだったが印象ではそれほど深くも無かったように思う。自分の下から自転車がスコンとなくなったかのように真下に胸から落ちた。「うわっ」と出た声に前を走っていたライダーが振り返ったのをスローモーションで憶えている。
寸暇を惜しんで慌て自転車を起こして走り始める。一番痛かったのは胸だった。次に左膝。変に捻じったのか時折ピキンと痛みが走る。初参加の時のことが思い出され寒気が走る。その次に左ヒジが痛かったけど擦過傷くらいに思っていた。が、チラっと見ると鮮血で真っ赤に染まっていた。恐る恐るもう一度見ると肉の断面が見えた。その厚さ1cmくらいあったか。その傷口はパックリと開いていて、腕を彫刻刀か何かで掘り下げたようだった。面積4センチ四方くらいか?
あんまり真っ赤だったので、
「もしかして出血多量で意識失うんちゃうか?」
と思って残っていたパワーバーをまとめて食った。リタイヤという選択肢はその時は選びようがなかった。救出されるのを待ってられない気がしていた。
下りながら腕の状況を確認する。一応指は全部動く。当初は一応ハンドルもブレーキも握れたが段々と痛みでブレーキ引くのもブレーキを握るのもつらくなってくる。なんと言っても只でさえコース中一番長い下りである。
コケるまで順調だったのにその後はひたすらダダ抜かれ。100キロ地点も過ぎてあと少しのはずだがそれが無限に続くように思われて気が遠くなった。

途中、スタッフの車両がコースに入ってきた。後で聞いた話では骨折した女子選手の救出にきたらしいのだけど、その車両に泣きついてリタイヤする選択肢も瞬間考えたけど、その時もリタイヤしなかった。2次的な事故を起こさない為にリタイヤすべきだったのかもしれないけど、リタイヤしたあとのブルーな気分は真っ平だった。

そんな中で考えていたのはさいとーさんや同じ宿の人達がゴール地点に居るかなぁ〜ってことだった。居なかったらゴールしてからケータイで連絡しなきゃいけないな〜。ケータイ持ってきててよかった。けど電波届くかなぁ。迷惑かけちゃうなぁ〜。居てもやっぱり迷惑かけちゃうんだろうなぁ〜。あんまり深刻な話にしない方がいいよなぁ〜。

そんな心配しながら長い長い下りを下り切って根性でゴールした。

ゴール〜県立木曾病院

ゴール地点でキョロキョロと周囲を見回すが一見同じ宿の面子は居ない。そりゃそうだ、100キロの人はとうにゴールしたに違いないし、さいとーさんだって1時間くらい早く帰ってきてるはずだ。天気がよけりゃウダウダしゃべって時間潰してるかもしれないけど、この雨の中熱烈歓迎を期待する方が甘すぎる。
となればとにかくメディカルセンターへ急行だ。とゼッケンからセンサーをはずす係の若い子に「メディカルセンター何処?」と傷口を見せながら言うと大慌てで案内してくれた。洗浄されたり包帯まかれちゃう前に一応写真を1枚。(あまりにグロいので非公開)
先客がいてちょっと待たされる。その時治療されてた人が
「私もずいぶん待たされましたよ〜」
とのたまうが、その怪我はツバでも付けとけばって感じやった。早くしないと俺倒れちゃうぞ。と思いながらその場で待ってると、周りに居た人達が俺の傷を見て
「何それ」
「ヒデェ〜」
「その傷はここでは無理だよ」
と驚きの声を上げ始めたころ漸く順番が回ってきた。
椅子に座って、治療をうけるべく左手を突き出し、右手でケータイで連絡できるかな?
と、そこにさいとーさんが現れる。あんまり深刻にしないように、やたら満面の笑顔でさいとーさんに治療中のところを写真に収めてもらった。
確かまだ洗浄前だった傷口を見たさいとーさんの感想は
「人のモノとは思えない」
「肉屋さんで見たことがあるような」
「T2さんの脂肪って分厚いなぁ」
と実に文学的で、俺の傷の状況を的確かつ冷静に表現された。
後日書かれたブログ中では

その傷はあまりにも超人的で怪我というよりは、肉屋さん?って感じで不思議な感じだった。

と表現されている。(http://f32.aaa.livedoor.jp/~bikelife/blognplus/index.php?e=36
スタッフの中でも比較的エラいさんもやってきた。てっきり救急車コースかと思ったがそうわならず、スタッフの人が本部まで俺とバイクを運んでくれるが、その後はお仲間(さいとーさん達)に病院まで運んでもらってね、ってことだった。俺が下ってくる最中に救出されていた女の子を優先したらしい。便乗させてくれりゃ良かったのに?とも思ったが、後に聞いた話では、胸の骨折だったらしく女性ということでもあっての配慮だったようだ。
スタッフの人の車で本部に送られながら少し話したが、これくらいのことは毎度の事でなんら慌てることもない様子だった。
本部に着いたが、自転車で走ってくるさいとーさんを濡れたジャージのまま待つ。寒いし。
さいとーさんと合流し、同じ宿の皆さんに連絡がついて、俺は何も言わないのに全ての段取りが手際よく決まってゆく。みごとなチームワークというか、ほぼ赤の他人の俺のためにここまで素早く動いてくれる皆さんに平身低頭するばかりだった。テツさんが俺を病院へ搬送してくれる間にさいとーさんが俺に自転車を洗ってくれることになった。ありがとーございます。

木曾病院

テツさんと2人で病院へ。木曽福島で一番大きい病院はあっけなく見つかった。救急処置室でしばし待つ。既に同じ王滝での負傷者が治療中だった。待ってるあいだにもテツさんにはお世話になりっぱなし。着替え用意してもらったり、食料頂いたり。
そして順番が回ってくるが、砂だらけで治療はできないってことでまずシャワーを浴びることに。
処置室の置くにある床が金網になってる広いシャワー室に通される。。。が一人じゃ洗えない。ってことでお仲間テツさんに手伝ってもらうことに。。。何度も書くがほぼ初対面である。
シャワーをテツさんに持ってもらい砂を落とす。もちろんすっポンポンである。あぁ〜恥ずかしい。
そして手術台に寝転がり眩しいライトを受けて処置を受ける。
まず、ゴール地点でまかれた包帯を外す。先生、開口一番
「深いなぁ〜」
とても見てられないのでずっと右手で目を覆ったまま。気胸の時は折角やからってとにかく処置してる内容を全部見てやるつもりだったが、今回は怖くて見れない。血ぃはホンマあかん。
洗浄して消毒して麻酔して。。。キュー〜と縫う糸の擦れる音がする。
来る前、コスジさんが怪我した時には断面を揃えるためメスで切った。。。ようなことを聞いていたのでビビっていたが、切ることはなかったようだ。ホっ。
結局約10針、全治2週間ってことらしい。ポケット(空洞?)が出来ているので膿を除去するためにパイプが刺さっている。ちょっとサイボーグになった。
処置室を出るとテツさんはいなかった。コンビニに行っていたらしい。思ったより処置が早く終わったから待合室でしばし待ち。そこには蜂に刺されて治療に来た人がいたがその人がなんと俺を知っていた。俺って有名人?

キングオブ王滝

さて、翌日のマウンテンラン。「KICHI-GUYS」からはテツさんとコスジさんが出場。お二人とも昨日のバイクをかなり上位でゴールされていて、コスジさんに関してはキング オブ 王滝が射程に入ってるとの予想。マラソンに出ないさいとーさんとムラカミさん、俺はのんびり起きて後片付け。
ゴール予想時刻にランのゴール地点に向かうと。。。なんとコスジさんラン42キロ6位入賞。テツさんもさほど遅れず13位。MTBで100キロ走った翌日ですよ。世の中俺ごときを遥かに越える○ンタイっているのだな。
しかもコスジさんはキング部門で3位。すげ〜人だ。まだバイクは始めたばかりでまだまだ伸び代があるっていうし、来年はキング獲る宣言も期待大である。

そんな人々と知り合え楽しく過ごした今年の王滝でした。